さて、今回はこんなテーマを。
恐らく“今の”10代のキッズはスクリーモというよりポストハードコアの方が馴染みが深いのでは。
結論から書いてしまうと、スクリーモという解釈そのものは時代によって捉え方が違うということ。
出だしから抽象的なニュアンスで保険をかけたのは言うまでもないことなんだけど、
どう振り返ってみても自分の10代を支えたスクリーモはその時代にとってのスクリーモだっただけで、
当時のシーンで既に一皮剥けてたインテリ達は、回顧に耽ったエモすぎる今の私と同じように、
「いやいや、スクリーモはコレじゃないだろ」
みたいな違和感が一定数あったのは間違いないと思う。
存分に自分への擁護を綴ったところで話を戻そう。
私の聴いていたスクリーモは、時代で言うと2000年代前半からエレクトロコアよろしくパーティーボーイ達が一世風靡した2010年までとすれば、一体どんなアーティスト達が“スクリーモ”として考えられていたかを区切るには十分な年数だ。
幼い頃からロックは大好きだったし、様々なサブジャンルを好んで聴いていたけど、間違いなくロックのカテゴリーにおけるアンダーグラウンドへと私を引きずり込んだのはUnderoathの2ndアルバム「They’re Only Chasing Safety」に他ならない。
2004年にリリースされた本作は、“新世代スクリーモ”の金字塔として後にまで語り継がれるわけだけど、この名称からして既にスクリーモの捉え方には諸説あったことがよく分かる。
冒頭でも書いたし、本記事のテーマは“スクリーモとは何か”を考えることだけど、
個人的にはスクリーモの解釈は後から生まれたもので、
それ以前に熱心なリスナー達が「何をエモいと思っていたのか」っていう所を考えるのが一番有効なんじゃないかと思う。
そう、JKに話題の“エモい”が何処にあったかということに他ならない。
一般的にスクリーモは、その名の通り「SCREAM+EMO」という言葉の掛け合わせだと言われている。
2000年代前半に活躍したスクリーモバンドにそれを当て嵌めると、「スクリームとクリーンの掛け合い」という構図で捉えたら自然だし分かりやすい。
その明確なメロディーとクリーンパートの導入が“エモい”部分だったわけで、リスナーとしても終始叫びっぱなしのケイオスより耳障りが良いのは明白だった。
メタルコアもほぼ同時期に隆盛したけど、こちらにも様式美として“クリーンパートの導入”があったことも大きな要因になっていると思う。
もちろんUnearthのようにクリーンパートを殆ど設けないタイプのメタルコアもあったけど。
メタルコアはメタルでは無いと言われてしまったら本当にそれまでなんだけど、私にとってはさらに下がって、スクリーモがメタルやハードコアの入り口として機能していたし、メタルコアはもっと“METAL”な奴らがやることだと思っていた。
そんな風に考えていくと、“クリーンパートの導入”がアンダーグラウンドの間口を大きく広げることになっていて、まさにそれらが当時キッズだった私には“エモい”現象に他ならなかった。
そう、実はスクリーモではなくて、その世代毎による“エモ”の定義こそムーブメントを形作る重要なファクターになっているんじゃないかってこと。
Silverstein、The Used、Funeral For A Friend、FinchやSaosinらの台頭によって、2000年代前半に“スクリームする音楽”が一気に押し上げれた現象、それこそが新世代スクリーモだった。
じゃあその前のスクリーモとは何だったのか、区別を図る為に“Real Screamo”なんて呼ばれていたりするけど、即ち世の卓越したインテリリスナー達が「これこそ本当のスクリーモ」だと言っていたのは、今でいう激情系のバンドを指すもの。
例えば90年代に活躍したYou and I、あるいはHopesfallの初期のような混沌としたカオティックハードコアに突如として差し込むクリーントーンのアルペジオ、そこに“エモさ”を見出していたのがリアルスクリーモの原型。
ここでのエモーショナルの定義は混沌に対比するクリーントーンの美しいギターサウンドや、激情的にスクリームすることそのものだったりするわけで。
それらが渦巻くケイオスに差し込む光として機能していたのが90年代スクリーモのエモ感覚なのかなと。
90年代が終わって、エモの捉え方は徐々に変わっていった。
伝説的なバンドの相次ぐ解散や沈黙、その中で新世代バンドが大きく台頭した。
そしてそれらのアーティスト達がメインに据えているものが“クリーンボーカルやメロディー”だったことが俗に言う「エモい」の定義や捉え方が変わっていったきっかけなんだと思う。
復活ライブを行ったMy Chemical Romanceだって初期はエモだと言われていたし、上に挙げた新世代スクリーモのバンド達以外にも、異なる形でシーンに影響を与えたバンドは沢山いる。
そんな話をだらだらと脇田氏と話してる時に、
ふと言われたのは“Saosinでほとんど分かる”という一言だったんだけど、これは言い得て妙な話なんだよね。
SaosinのデビューEP、巷では“白盤”とか言われてるソレは、Anthony Greenのエンジェリックなハイトーンボイスと対比する激情的な咆哮は確かに当時のスクリーモリスナーにとってはアイコニックな存在だったし、ボーカルが代っても尚“次世代スクリーモ”ともてはやされたのは周知の事実。
でももうこの時、わずか数年で“スクリーモ”の捉え方が変わってることは多くの人が気付いていたと思う。
後任のCoveはスクリームをほとんど用いらなかったにも関わらずスクリーモとして受け入れられていたし、その反面「これは果たしてスクリーモなのか」と思っているリスナーもいたわけで。
そんな世代毎に感じるギャップがそのままスクリーモを形作る要素になっていたんだよね。
世代感覚のギャップが複数回生じることによって、段々と線引きが難しくなっていったのがスクリーモという音楽で、結果的に今は“ポストハードコア”ぐらいのがしっくりくるし当たり障り無いよねってのが大方の考えなのかなと。
だからこそ今はあまりスクリーモと呼ばれることは無くなったけど、それは決して消滅したわけじゃなくて、多くのサブジャンルを消化したバンド達が様々な形で打ち鳴らす“ポストハードコア”に変わっていったというのが1番自然なんじゃないかな。
話は戻るけど、なんで今更“スクリーモ”のことを考えるようになったかって、その曖昧な線引きがもたらす弊害みたいなものを感じるようになってきたからなんだよね。
時代はストリーミング一直線で、日々数万の楽曲が雑多にアップロードされていく中、もっと明確に線引きしながらカテゴライズしていくことが大事になってくるんじゃないかなと思ってる。
まじでめちゃくちゃ良い音楽がたくさん生まれていってるけど、リスナーは自分で獲りに行かないとリーチすることが出来ないぐらい溢れちゃってるもん。
カテゴライズされる当人が受け入れるかどうかは置いておくとして、これだけ音楽に溢れた時代だからこそ名前を付けて整理をしていく作業は、誰かがやらなきゃいけないことだなと。
特に今の時代、切り捨てようと思えばまじで2秒で終わるのが新しい音楽への見地なんだよね。
昔なら、少ない小遣いで買った音源なんだからと意地になって擦り込んでいくうちに気づいたらその虜になっているアハ体験があったけど、今は本能が拒否したら停止ボタンを押すだけで全てが終わる。
別にこれはストリーミング時代をDisってるわけじゃなくて(2回目の保険)、そのアハ体験を作る誰かがいなきゃいけないんじゃないかっていうこと。
だからこそこのRiff Cultを動かしたいと脇田氏に進言したわけだし、痒い所に手が届くバンドを呼んでくれるRNR TOURSに入りたいと思った理由なんだよね。
情報発信基地としてのメディアがあったら嬉しいという誇大妄想に共感してくれて、RIFF CULTを再び動かすことに賛同してくれた脇田氏の寛大な心に感謝しつつ今回の話は終わりにしよう。
これを読んでくれた人にとっての“スクリーモバンド”はずばり誰なのか、聞いてみたいなあ。
Kento Maruyama
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